宅良谷ハイキング

南条の歴史を歩く

2005年5月21日(土)に行われた宅良谷ハイキングに参加してきました。
場所は福井県南条郡南越前町古木です。
このハイキングは、バスで移動しながら山村の現状を訪ね、言い伝えの謎と名残を探し、川と山村の暮らしと森に学ぶ資源探しのハイキングです。民族語り部の方や民間風俗・歴史等に詳しい方々が同行して下さいました。
開会式のあと、
1.上温谷→ 2.小倉谷多留見谷口の薬師堂→ 3.慈眼寺→ 4.杉谷→ 5.杣木俣→ 6.芋ヶ平→ 7.瀬戸→ 8.リトリート宅良(閉会式) と移動しながらいろいろなお話を伺いました。
その中からいくつかご紹介します。
・慈眼寺・・・この宅良の谷は修行の場所に適した場所であったことで、地面を掘り起こしたところ一体の観音さまの聖像が発見されて、これを祀り、寺を普門山慈眼寺と名付けたそうです。しかし、安政年中の火災に遇ってお寺の宝や古記録が焼失してしまい昔の面影はなくなっています。
・杣木俣・・・池田へ越える大阪峠は重要な裏街道。水戸の浪士武田耕雲斎が京都に向かうためにこの坂を越えてこの地に入ってきた時、水戸の浪士により集落を焼き払うという噂が流れ、女・子供は食料を持って山中に逃げ込んだとのことでした。実際には焼き払いはなかったようです。杣木俣には、いぼ石と呼ばれる穴が開いた岩があって、その岩の溜まり水にいぼのできた患部を浸けるといぼがとれたとのこと!?現在は7戸であり、殆ど高齢者で最も若い人で60歳である
・芋ヶ平・・・芋ヶ平の元住人であった山田さんによる芋ヶ平の集落の昔話。この芋ヶ平をでて今庄へ移ってから約50年が過ぎて、また13年前からこの芋ヶ平へ戻ってきて炭焼き小屋を建てて炭を作っていらっしゃいます。芋ヶ平は、たくらの中で最も山奥にある集落であるために、たくらの他の集落とは隔たれた違った生活文化だそうです。 畑や田にするには難しい土地なため、棚田による農業や炭焼きによって生計をたてているそうです。

(写真は上が慈眼寺、下が芋ヶ平)

慈眼寺

芋ヶ平
農山村で生活されているお年寄りの方は都会に暮らしている人に比べて大変元気です。しかし現状ではどんどん過疎化が進んでおり、戸数が目に見えて減ってきています。森を守る人、従事する人がどんどん少なくなってきているのです。
瀬戸や芋ヶ平での田園(山なども)は、この集落で生活してきた人の汗の結晶であり、これがなくなっていくのは大変寂しいとおっしゃっていました。
川(水)は山に源を発しています。山や田圃を守らないことにはおいしい水は得られません。皆は当たり前の事と思っているけれど、温暖化の原因の一つとなっている二酸化炭素を吸収して人間が生きていく上で必要な酸素を生成しているのは森林でです。
「昔から山は炭焼きが守ってきた。」・・・・炭は20~30年までの山を伐採して作られます。こうして約30年のサイクルで土壌・植物の再生化(更新)が行われるのです。
しかし、造林した杉山は真っ暗で草が生えず、荒れ放題で、降雨などは浸透せず表層を流下してしまいます。その先の川は三面張りコンクリートとなってしまっています。
山を守っていかなくてはならないが、日々年を重ねているため、年々難しくなってきているとおっしゃっていました。若い人に定年になったらふるさとへ帰って来るように言っているが、現状は難しいそうです。山村に若い人が住み易い環境の形成を行政側でも考えてほしいとのことでした。

>一般社団法人環境文化研究所のミッションとは

一般社団法人環境文化研究所のミッションとは

環境文化研究所は、自然環境、民俗文化、伝統技術などを後世に繋ぎ、持続可能な社会を実現するため、専門性と豊かな個性を有する研究員が蓄積している多様な経験や知識を活かし、企業・行政および専門家等による連携活動に参画し、地域発展を支援する活動とともに、地域の暮らしや体験を通じて自然の恵みを巧みに活用する技術と知恵を身に着けた人材を育成し、持続可能な社会の実現を目指す価値観の醸成を図ること、および地域の自然資源や人文資源などの地域資源を生かした産業を育成し、雇用を創出することで環境保全および地域振興に寄与することを目的とし、1997年1月1日にスタートしました。2016年7月11日に、一般社団法人として設立し、更なる地域貢献を進めていきます。

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